ユキノシタの生育がよく、早く天ぷらにして下さいと言っているみたいですね(言ってない言ってない)
すごい勢い。
食べよう 笑
これまた「機会があれば」と思いながらなかなか行けなかったところ
建物は1928年(昭和3年)の築造で、2003年に廃校になりました。
解体を免れ、「台東デザイナーズビレッジ」として生き残っています。よかったね。
半分埋まった円柱がたくさんあります
いかにも学校の名残
かつての校門
そしてこの美しい円筒部分
内部の曲面には、外側に向かってズラリと男性用小便器が並んでいるそうです。3Fなんか、さぞかし気持ちいいでしょうね。
中に入らせてもらえそうに思えましたが(男性用トイレじゃなくて建物にね)、夕暮れを迎え、またの機会にゆずります。
ついでの範囲で行ける富士塚を見て歩いているので、神田の柳森神社へ。
柳原通りに面した鳥居
ここにあるのは「富士講関係石碑群」とされていて、登ることはできません。
富士浅間神社を合祀した経緯より1930年(昭和5年)に富士塚が築かれましたが、関東大震災、戦争、やがては富士講の衰退という事情から崩される運命に。現存するのは、その時の一部の石と石碑を積み直したものです。
手水所にも名残
富士浅間神社だけでなくここには数多くの神社が合祀されていて、境内はまるで神社のアパート。震災、戦争だけでなく都会的な事情もあったのでしょうか。
むかし若者たちが力を競った力石
「大林」の右の石には「神田川徳蔵」の文字が見え、大相撲で大関にまで上がった人のものだそう。神田川っていう四股名、あまり強そうじゃないけど 笑
そして目を引くのは数々のたぬき
境内にある福寿神(これも合祀)は「お狸さま」と呼ばれていて、徳川綱吉の母である桂昌院が江戸城内に創建したものでした。
なぜ「たぬき」になったかというと、桂昌院が八百屋の娘という出にもかかわらず、他を抜いて(ここが「たぬき」)玉の輿に乗ったからです。それにあやかりたいという大奥の女中たちがこぞって「お狸さま」を崇拝するようになったそうですフーン。
これが一番新しいかな。
しっかし、たぬきというとどれもこれもこういうデフォルメのされ方をしていて気の毒なものだ。
チラリ富士塚のつもりでしたが、見どころの多い神社でした。