この如雨露には他人の優しさが思い出され、補修して使っていたけれど、もう限界かな。
私は自分の軽自動車を運転して東京に引っ越してくるような無謀な娘だったらしい。
そして、その当時が生涯で最もリッチなアパートに住んでいたらしい(今んとこ)。
アパートの下にある駐車場でたびたび洗車をしていた。ある日のこと、同じアパートの人が出てきて如雨露を差し出した。「僕引っ越しするんですけど、もうこれ使わないから、もしよかったら使って下さい。」と、たぶんそんな言葉だった。それまでに話をしたことはない人だったけれど、さわやかな青年で、すうっと、ふわっと、晴れやかな気分になったのを憶えている。
昨日、新しい如雨露を買った。
あの晴れやかな気分は、新しい如雨露が引き継いでくれると思う。
さわやか君の如雨露は、軽く洗って旅立ちを見送ろう。31年間(サラリと書いてみる)ご苦労様でした。
ベランダの柱の隙間から生えている山椒に花がついていた。
あの出来事も、こんな季節だったかもしれない。