諏訪大社、下社秋宮。
境内に「放魚所」と書かれた木箱があり、流しそうめんのような樋が儲けられていました。
法被を着たおじいさんがいらっしゃったので「何をしているところですか」と尋ねたところ、思ってもみないご返答が。
人生初の厄年、二歳になる子の御祈願で、その子の厄をドジョウに背負ってもらって流すとおっしゃるのです。ドジョウは小川を通り、やがて諏訪湖へ。おじいさんの頃は小さなウナギだったとも聞きました。
ススキは神棚に上げ、枯れた頃にお箸の長さに切り、それで食べさせるとお腹をこわさないそう。
諏訪の人は知らない人はいないとのことでした。
ドジョウにススキ、小さな別の命に託された願い。
このような風習がなくならないことは土地柄でしょうか。
なんだか、日本も捨てたもんじゃないなというような、ちょっと違うかもしれませんけれど、胸を打たれました。
たぶん私は、自分たち人間のことを弱いものだと認める祈りの心に対し、敬意を感じたのです。
放魚は曜日に関係なく毎年8月26、27日と知り、お話が聞けたのは幸運でした。
諏訪湖近辺でドジョウ鍋を食べたら、どっさり厄をもらっちゃうのかな?
どうも余計なことばかり思い浮かぶ、清くない自分です。