毎日探検、雲の上はいつも晴れ

日常の断片を気ままに綴りますので俺について来い! 来なくても、いいよ。好きなものごと・・・銭湯、温泉、びんぼう旅、年月を経たモノたち、建物や町並観察、鉄道、手書き文字、植物全般、エイ、ウミウシ、まりも、昭和な暮らし、3日でこわれるDIY、気が向けば弾き語り、アイラブハリネズミ。

神田柳森富士とおたぬき様

ついでの範囲で行ける富士塚を見て歩いているので、神田の柳森神社へ。

JRの最寄り駅は秋葉原駅神田川に接しています。

 

柳原通りに面した鳥居

 

ここにあるのは「富士講関係石碑群」とされていて、登ることはできません。

富士浅間神社を合祀した経緯より1930年(昭和5年)に富士塚が築かれましたが、関東大震災、戦争、やがては富士講の衰退という事情から崩される運命に。現存するのは、その時の一部の石と石碑を積み直したものです。

 

手水所にも名残

富士浅間神社だけでなくここには数多くの神社が合祀されていて、境内はまるで神社のアパート。震災、戦争だけでなく都会的な事情もあったのでしょうか。

 

むかし若者たちが力を競った力石

「大林」の右の石には「神田川徳蔵」の文字が見え、大相撲で大関にまで上がった人のものだそう。神田川っていう四股名、あまり強そうじゃないけど 笑

 

そして目を引くのは数々のたぬき

境内にある福寿神(これも合祀)は「お狸さま」と呼ばれていて、徳川綱吉の母である桂昌院江戸城内に創建したものでした。

なぜ「たぬき」になったかというと、桂昌院が八百屋の娘という出にもかかわらず、他を抜いて(ここが「たぬき」)玉の輿に乗ったからです。それにあやかりたいという大奥の女中たちがこぞって「お狸さま」を崇拝するようになったそうですフーン。

これが一番新しいかな。

しっかし、たぬきというとどれもこれもこういうデフォルメのされ方をしていて気の毒なものだ。

チラリ富士塚のつもりでしたが、見どころの多い神社でした。